先日、渋谷に用事があり、原付バイクで出かけていきました。
東京ビューティクリニックで髪の毛が生える薬の受け取りに行ったわけですが、
アンケートと髪の毛の写真を撮り、次回の予約をして、10分で終了。
チーン!
せっかくの休みの日に東京の中心の渋谷に来て、10分で家路に向かうのもなんなんで、
帰りついでに明治神宮に寄って行くことにしました。
フンスイミングの練習会では明治神宮の横を通り、近くに有るインドア50のプールに通っています。
東京のパワースポットで、明治神宮のどこかの写真を待ち受けにすると、縁起がいいとか聞いたことがあります。
いつも観光バスが出入りしていて、気になっていたので、天気もいいし散歩がてら参拝に行ったわけです。
確かに外国人の方ばっかりでした。聞こえてくる言語が、英語・中国語・韓国語・スペイン語・その他判別不能な言語。
参道を行く人々。何故に皆さん方真ん中の道を歩かないのか不思議に思っていました。
歩くと小さい砂利が沢山会って歩きにくいので、脇の石畳の方が歩きやすいのか。
なーるほど・・・・とその時は思ったのですが、真ん中は神様の通り道なので参拝する人は脇を通らなければいけなっかったのを、たった今知りました。
手水舎で手と口を清め、本殿に向かいます。お賽銭を入れ、2礼2拍手。
(普段やりなれないので、なんか恥ずかしい)
そして、お祈りを・・・・。
えーこういう時って、皆さんどんなこと思っているのでしょうか?
「とりあえず、世界1周よろしくお願いしま~す。あと、家族の健康とか心配のない生活をしたいです」の様な事を心の中でつぶやいて終了です。
せっかく来たので絵馬に願いを書いてみました。
なんとなく出かけて、行った記念に絵馬を書いたり、お祈りをしていましたが、日々の生活の中では、宗教的な事は縁遠い生活をしているので、不慣れで出来損ないの参拝だったようです。
東京のど真ん中で、たしかに大きな木々と静謐なオアシスの様な存在感は有りますが、神殿っていうのでしょうか?
建造物的には魅力に欠けるかな?
どうしても日光東照宮とか伊勢神宮や鶴岡八幡宮と比べてしまうと見劣りが・・・・。
私は無神論者です。
神社でお祈りをしていても心の底は
神様なんぞは存在しないのだけど、せっかくだから願掛けしておこうくらいの気持ちです。
・・・・不遜ですかね。
神道も仏教も生活の中には行事として根付いている部分は有りますが、基本的にお祈りはしません。
夫の実家に帰れば、仏壇にお線香をあげて、チーンって鳴らしてお祈りの形をとりますが何も考えておりません。「あ、お義母さん帰って来ました」くらいの声掛けはしますね。
かのような話を会社の休憩時間にお喋りをしていたのですが、
「日本には八百万の神様がいて、お客様さえも神様にしてしまう国だから、それはそれで仕方がないし、日本で生活するには何も問題ないよ」と友人の一人が言っていました。
しかし、しかしですね~。日本を離れて旅をしたときにはきちんとその辺のファジーな日本人の宗教観を説明できるようにはしておきたいとは思いましたした。
55歳にもなって困ったもんだ。